ケン坊のこんな感じ。

キーボーディスト、川村ケンのブログです。

また会う日まで。


ニュース、オフィシャルからの発表等で皆さんもご存じかと思いますが、安全地帯の田中さんがご逝去されました。

2010年の完全復活ツアーの前に「朝のヒットスタジオ」のリハーサルで、初めて田中さんにでお会いさせて頂きました。

挨拶をしたときに、あの満面の笑顔で「わあ、よろしくね!!」と仰って頂けて、とっても安心したのを覚えています。

そして、初めて演奏した曲が「ワインレッドの心」でした。

長年、レコードで聞きなれたドラムのフィルインを目の前で叩く田中さん。

(・・・うわ、本物だ。)

本当に感激致しました。

 

その後、ツアーの前に伊豆にあるスタジオに一緒に数日間寝泊まりしての、特典CDのレコーディングがございました。

色々とデータ関係の作業などでお忙しかった矢萩さん、武沢さん。その合間には、六土さんと田中さんと僕の三人で、その後の「またね」ツアーでやる予定になっていた曲の練習をしたのです。

僭越ながら僕がギターの代わりにコードを弾いたり、メロディを弾いてみたりしながら練習を進めていったのですが、

その時に「ケンちゃんは、安全地帯の曲よく知ってるねえ!!ねえ、六ちゃん!!」と、嬉しそうに言ってくださって、

「ねえ、この曲って最後どうやって終わるんだっけ?」と僕に聞いてくれることまであったのです。

僕は、事前にYoutubeなどでライブ動画などを見ておりまして「確か、動画ではこんな感じでしたね」とお伝えすると

「そうだったね!うわー、忘れてるなあ(笑)」なんて笑いながら、「ようし、じゃあもう一回やらせてー!」とくるっと肩を回して、まっすぐに構える田中さんの姿を今も鮮明に覚えています。

 

一緒にご飯を食べた後、また少し練習して、それからは音楽を聴いたりテレビを見たりしながら合宿ならではのリビングスペースでのでのリラックスタイムもありまして、

「なんかお腹減ったね!カップ麺でも食べようかー」と仰って、

「ケンちゃん、チリトマトヌードルにはね、ちょっとだけタバスコ入れると美味しんだよ!やってごらん!でもちょっーとだよ!」

とまた笑顔で。

「どう?美味しいでしょう?」

というので「はい!美味しいです」

と答えると

「でしょでしょ!良かったー!」

と、またニカッと笑ってくれました。

 

その後、SONGSの収録があったのですが、おトイレでご一緒になった時に、

「ねえ、僕のドラム、大丈夫?」

と仰るので、

「えー!田中さんのドラム、めっちゃくちゃ合わせやすくて、最高ですよ!」

とお伝えしましたら

「ほんとー!?なら良かったー!嬉しいなー。でも頑張ろうー。もっと頑張らなきゃな―。」

と仰っておられました。

なんて謙虚な方なんだろう・・・。

あんなに凄い方なのに、本当にドラムに対して、いつも真摯に取り組まれている方なんだというのが良く伝わってきて、感激したのでした。

 

新潟のキオスクで、

お土産のことを教えて下さって、「へえ、知りませんでした!」と言いましたら、

「六ちゃん六ちゃん!ケンちゃんねえ、これ知らなかったんだってー!」

と嬉しそうに六土さんに話しかけていた田中さん。

「美味しいよー!買った方がいいよ!!」

と。

 

この時のこと、本当によく思い出すんです。

なんて無邪気に優しい方なんだろうって。

万事、こんな感じで、親戚のお兄ちゃんみたいな感じなのです。

安全地帯のドラムの田中さんですよ。

スターなのにね。

 

 

緑ちゃん倶楽部にもいらして下さいましたね。

「おっけー!じゃあ、会員様とのセッションの後に、ライブをやるんだね!」

六土さんが

「会員”様”って田中が言うと、なんかおかしいなあ(笑)」

「えー、だって会員様だよねえ。ねえ、ケンちゃん(笑)!」

そういう方でした。

 

すみません。

田中さんとの想い出は書ききれないことがわかってきました。。

 

「ケンちゃん、僕が撮ってあげるよ!」(2011年、高松にて。撮影、T女史)

 

リハでも、いつもムードメーカーで、矢萩さんとも、六土さんとも、武沢さんとも、勿論玉置さんとも仲良しで、

特に矢萩さん、六土さんとの会話ややり取りは、もう本当に毎回、お腹が捩れるくらい面白くて、最高だったのですよ。

安全地帯さんの絆、信頼関係は、もう本当の兄弟のような、家族のような、本当に深い深いものを感じます。皆さんもきっと同じものを感じておられますよね。

 

皆さんが、それぞれのメンバーを慕い、想い、共に、時に緻密に、時に大胆に、あのとてつもない名曲を、音楽を作り上げてきた、素晴らしい”五人のバンド”です。

田中さんは、そのかけがえのないメンバーであり、まさに替えの効かない、素晴らしいドラマーでした。

ホセさんや原さんも本当に素晴らしいドラマーです。それは間違いないです。

でも、やはりオリジネーターである田中さんの叩く安全地帯さんのサウンドがあってこそ、あの安全地帯。

 

玉置さんが、矢萩さんが、武沢さんが、六土さんが、

「甲子園に、絶対に田中ちゃんを一緒に連れて行く」

と、あの2019年の甲子園の「さよならゲーム」コンサートでは、田中さんのドラムの音が、全曲、うっすらとではありますが入っているのです。

そして、先月の40周年コンサートでは、まさに色々な方々の力と想いが結集して、また、田中さんと”一緒”に「情熱」が演奏できました。

楽しかったです。嬉しかったです。素晴らしかったです。

 

そして本当に、またご一緒できる日を楽しみにもしておりました。

 

悲しいですね。

本当に、寂しいです。

 

でも、きっとまた違う形で会えると思いますので、

その時に「わあ、ケンちゃんだあ!久しぶりだねえ!」って、あの笑顔で言ってもらえると信じていますので、

それまで、田中さんを思って、頑張っていかなければですね。

 

きっと、お辛い療養の日々からも解放されて、

「ようし、じゃあもう一回やらせてー!」

って元気に、

くるっと肩を回して、

姿勢を正して、

次の曲が始まるのを、嬉しそうに待っているのだと思います。

そんな姿が、浮かびますもの。

そんな姿しか、浮かびませんもの。

 

田中さん、お疲れ様でした。

本当にありがとうございました。

 

 

田中さんのことが、大好きでした。

 

いつかまた。

その時も、よろしくお願いします!